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逆引き成長バイト辞典

hyadain

No.09

独自の世界観で音楽業界を
盛り上げるマルチクリエイター

音楽クリエイター hyadain氏

hyadain

1980年大阪府生まれ。本名 前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。AKB48、ももいろクローバーZ、でんぱ組.Inc、関ジャニ∞など様々なアーティストへ楽曲提供を行い、自身も歌手、タレントとして活動する。

甲子園球場では「スマイルボーイ」と呼ばれてました。

ー学生時代のアルバイトについて教えてください。

高校生の頃からめっちゃ働いてました(笑)。高1〜高2の夏休みは、2年連続で甲子園の野外シートでかち割りやビール、おつまみなんかを売っていました。それまで自分の手でお金を稼ぐという経験をしたことがなくて、やってみたかったんです。暑い中、高校球児ががんばって戦っているところで僕も、がんばってかち割りを売りさばいて。あのお仕事って基本給ゼロの出来高制なんです。

¥400のビール売ったら、僕に入るのは1割の¥40だったんですが、始めて4~5日は全然売り方がわからなくて売れなくて。荷物重いし熱いしで、くそーって思って、お客さんひとりひとりの目を見てニコッとして「いかがですか?」って売り始めたら、どんどん売れるようになって1日1万円は稼げるようになったんです。それで先輩たちに「スマイルボーイ」ってあだ名をつけられました。

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バイトばかりで学校に行かなかった大学時代。

ー京都大学をご卒業されているそうですが、大学時代はどんな生活をしていましたか?

1年の頃は小学生相手に家庭教師のバイトをしていて、2~3年はTSUTAYAの掛け持ちも始めました。自分がCDを売った分だけ店の売り上げがよくなるということが、社会の歯車になった気がしたし、末端かもしれないけど大好きだった音楽の業界に関わることができたこともうれしかったですね。

たとえば当時はRIPSLYMEとかケツメイシ、洋楽だとTLC、ボーイズⅡメンなんかが流行ってたんですが、ある時MONGOL800がインディーズデビューしたんです。インディーズだとレンタルできないので、売るためのCDを仕入れるんですけど、僕は彼らの音楽は「絶対売れる!」と思って、店長に猛プッシュして数百枚単位で仕入れたんです。そしたら、それがめっちゃ売れて…。あの時はうれしかったですね。あと、今はわかりませんが当時のTSUTAYAでは、クレジット機能付きのWカードをお客さんに勧めてお客さんがそれに入会すれば、時給とは別にインセンティブがもらえる制度があったんですけど、それも高校時代で培った“かち割りスマイル”でどんどん入会者を増やして…、当時の僕はそこそこお金持ちでした(笑)。

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就活をあきらめて1人旅で初海外、NYへ!

ー就職活動とかどうしてたんですか?

3年の夏ごろ、久しぶりに大学に行ったらみんな既に就職活動をしているのを知って「出遅れた!終わった…。もう就職しない!」って思って、辞めました。僕、バイトばっかりしていたから全然学校に行ってなかったし、友達もほとんどいなくて、だから就職活動が3年の頭から始まるって知らなかったんです。2年の時は8単位しか取ってなかったから、3〜4年に必死で取って卒業したんですけど、そもそも夢とか持ったことなかったし、だからといって将来に不安もなくて…。僕、昔から呑気な性格なんです(笑)。

で、せめて学生にしかできないことをやっておこうと思って、バイトで貯金はあったから、1人でNYに行ってミュージカルを観まくりました。ドミトリーみたいな安宿に泊まって、毎日昼と夜ミュージカルを観に行って。一番好きで何回も観たのは『RENT』でしたね。ところが帰国する前日に9.11のテロが起こった。マンハッタンは封鎖されて周りは大パニックの中、僕は1週間足止めを食らって…。そのことがきっかけで、人生いつどうなるかわかんないなって、自分の将来どうしようかな、と初めて考えました。

就活に出遅れ、テロ直後のNYで音楽家になろうと決意。

ーそれで音楽の道を目指すことに?

はい。テロを目の当たりにして、アメリカのテロへの立ち向かい方とか、愛国心みたいなものを知った。ブロードウェイミュージカルも、テロに屈しない姿勢を示して、翌日から再開したんです。やっぱりエンターテイメントって素晴らしいなって思いました。自分にできることは何かな?と考えた時、もともと3歳からピアノを習っていたので音楽が好きだったけど歌うまくないしなぁ…、あっでも曲なら作れるんじゃね? という風に作曲家を目指すことにしたんです。何の根拠もないのになぜだか変な自信はあったんです。それで日本に戻ってすぐに、週に1回作曲教室に通い始めつつ、大学でも必死に単位を取りました。その作曲教室の先生が「あなた人と違って面白いから、東京に行った方がいいわよ」と後押ししてくれたんですね。そういうことがあり上京する決意をしました。

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