
現場で、内視鏡のことを
もっと教えてもらいたかった。
日本では、医師免許を取ったらどこかの医局に属するのが一般的ですが、
先生は医局に属さなかったそうですね。どういった理由からでしょうか。
研修の2年間が終わっても僕が医局に属さなかったのは、素行不良でまったく勧誘されなかった!?(笑)り、最後の最後に外科から内科に切り替えたりっていういろんな理由があるんだけど、一番の理由は研修を受けた病院の消化器内科の先生たちにもっと教えてもらいたかったから。当時の学生は研修が終わると、ほとんどが自分の大学の医局に入るものでした。医局というのは、いわゆる大学病院の各診療科ごとにある、教授をトップとした人事組織のことなんですけど、そこに所属していると就職先が確保され安定したキャリアを積みやすいのです。でも当時の僕はそこまで先のことは考えませんでした。それよりも「この先生の下で勉強したい」という気持ちが大きかった。学生時代は遊ぶのに夢中だったけど、医者になったら、そこで出会った内視鏡に夢中になってしまったんです。今にして思えば、人に流されやすい僕にとっては、医局で仲間と一緒にいたら、良くも悪くも右へならえで、何でも皆と同じでいいやってなったかもしれません。
無休で病院で働き、
寝ずにバイトするハメになりました(笑)。
医局に残らなかったことで、苦労はありましたか。
当時はなんとも思っていませんでしたが…今思うとまぁ確かに悲惨だったのかもしれません…。実は勤務する2週間前になって就職先として決まっていたところから急に「やっぱり雇えない」って言われてしまったんですよ。でも医局に属していない僕には他にツテも何もなくて、つい言っちゃったんです。「無給でいいから残してくれ!」と(笑)。そしたら他の人たちと同じように当直もして働いているのに、本当に無給になりました(笑)月に2万円の謝礼金はもらってましたけど。さらに不運は続き、無給になってまでなんとか病院に残ったにも関わらず、教えて欲しかった先生たちが諸事情で全員辞めてしまって…。且つお金もないから、バイトを探すことに…。普通はこういう場合、平日にバイトにいって給与をもらうんだけど、平日にバイトに行ったらメインの勤務先での勉強する時間がそれだけ減ってしまう。だから平日はバイトに行かず、みんながキツくてやりたがらなかった救急当直のバイトを土曜日の昼〜月曜日早朝まで2泊3日で月に2回ペースでやりました。救急のバイトってどんな症状の患者が来るかわからないし、専門医がいないので自分で全部判断して処置しなければならない…。あれは怖かったですね~。

医者である以上、直接治療したかった。
内視鏡に興味を持ったきっかけを教えてください。
医者って色々いて、分かりやすく言うと試験管を振って研究している研究者もいれば、直接患者さんと触れ合う事の少ない放射線科の様な先生もいる。また臨床家であっても、技術職にならない科もあります。でも僕は、基礎的な研究をするより、現場で患者さんの顔を見ながら、話しながら、病気を治す医者になりたかったんです。あと内視鏡って、カメラを通してだとしてもリアルに臓器を見ることができるし、直接治療もできる。医者である以上、治すということに直接関わりたかったんです。
難しい腫瘍でも、
お腹を切らずに内視鏡だけで治療できた時。
やりがいを感じる瞬間はどんな時でしょうか。
他の病院で治療できなかった患者さんや、お腹を切るしか方法はないと言われたり、腫瘍のできる場所が悪くて人工肛門しか手段がないと言われた患者さんが、内視鏡で治療できたときはうれしいですね。別の医師が「あの先生だったら何とかしてくれるから」と紹介状をもらってくるのも、「信頼されてるんだ!」って燃えますね(笑)。期待される、必要とされる、そんな人間でありたいとは思いますよね。まあとにもかくにも、患者さんに「もう家に帰ってもいいですよ」って言った時のびっくりした顔とか、うれしそうな顔を見るのが一番のやりがいですかね。

僕の技術を若い医者に受け継いでいきたい
今後の展望は?
僕が1人で治療できる数は限られているから、これからも若い医者に僕の技術を教えて、腕のある内視鏡医をどんどん育てていかなければいけないと思っています。そうしてなるべくお腹を切らずに、より多くの患者さんを救いたいです。