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逆引き成長バイト辞典
(著名人インタビュー編)

逆引き成長バイト辞典<br>(著名人インタビュー編)

著名人インタビュー

行定勲(映画監督)

人間を繊細かつリアルに描き出す奇才
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新聞配達、牛鍋屋、かに道楽など
アルバイトづくめの10代、20代。

アルバイトで500万円貯めたのはすごいですね。どんなアルバイトをされたんでしょうか。
うち、父親が会社をやっていてそこそこ裕福な家に育ったんだけど、僕が小学生の時に会社が倒産してしまった。それで、給食費とか文房具代とか、自分にかかる雑費はアルバイトして自分で払おうって思って、新聞配達のバイトを12歳で始めたんです。当時は働き口がなくてね。それを高校卒業するまで続けて、上京して専門学校通う時も、新聞奨学生になれば学費がタダになると聞いて、また住み込みで新聞配達を続けた。昼飯を食わずに金貯めてましたね。

それから専門学校時代は、新宿の牛鍋屋でもアルバイトしました。ここが面白くてね。僕が映画を作りたいって言ったとたんにオーナーが、映画作るには色彩感覚がないとダメだから、って食材の盛り付け担当をさせられて。何度やってもダメだしばかり、1年ぐらい怒られながらやってましたね。ここまでが19〜21歳ぐらいかな。
その後、今のカミさんの紹介で、新宿のかに道楽の皿洗いのアルバイトにつきました。この店はいつでも人手が足りなかったから、シフトじゃなくても「今から行きます」ってアルバイトに入れたので、助監督時代は現場が終わって帰っていいよ、って言われたらすぐにかに道楽に行ってました。21時から深夜2時までとか皿洗ってましたね。あとは、撮影現場って時間が不規則だから、交通量調査などの短期で飛び込みでできるようなアルバイトを、結局監督になる29歳まで続けました。

行定勲さんインタビュー

人の人生を垣間見れること、
大人と話せることがアルバイトのいいところ。

アルバイトで得たことはなんですか?
大人の人たちと知り合えて、会話ができたことかな。ジュースとか飲みながら、立ち話でちょっとした人生論とか生き方のヒントがあって、そういうのを知ることができるのがアルバイトのいいところだと思います。
牛鍋屋のオーナーも面白くて尊敬できた人だったんだけど、かに道楽時代に2人の仲居さんとよく話してたことも、いまだに記憶に残っていて。2人とも大学生とかそれよりも大きな子供がいたから、話すことで親の気持ちを知ることができたりね。そのうちの1人の仲居さんはものすごく品のある立ち居振る舞いや話し方をする人だった、聞いたら元々華族の人だったんです。いろんな制度が変わったことにより、アルバイトしないと生きていけなくなってしまったようです。そういう他人の人生をバイトの隙間で見聞きできるし、映画の主人公にできるな、とか考えながら、人間の歴史とか背景を僕は常に思い浮かべていたんです。
行定勲さんインタビュー
「うつくしいひと」…熊本出身の行定監督が、故郷を舞台に同県出身の俳優、著名人らをキャスティングして製作した中編映画

他人の人生を見て、自分の人生も見つめ直せる時間。

監督にとってアルバイトとは?
自分を見つめ直す時間です。今話したように、他人の人生を見て、自分の人生も見つめ直せる。それから、確実にお金がもらえるのがアルバイト。

映画監督という仕事は、脚本家に本を書いてもらって、いろいろ話し合って修正したり各キャラクターの背景や心情まで設定しながら作品に合うキャストに会ったり、時には海外にまで行って役者にオファーしたり。2年ぐらいかけてそこまで準備したのに、プロデューサーから、お金が集まらなかったので撮れません、ってボツになったりするんです。もちろん準備にかけたお金は1円も出ない。でもアルバイトは、例えば新聞配達なら配った時点からお金がもらえるんです。もし僕がこの先映画で食えなくなったら、また新聞配達やろうと思ってます。

行定勲さんインタビュー

なるべく早くプロと関わって、人脈を作って。

映画監督に必要な素質とはなんでしょうか。
うーん、そうだね、これは映画監督に関わらずなんだけど、何をやりたいかを決めるのは、早ければ早い方がいいと思っています。その方が切り開く時間が多くなるから。そして、映画の業界に身を置いて、その道のプロと早く関わり人脈を切り開くことかな。僕が映画監督になったのも、プロデューサーが声をかけてくれたからだし、真面目に助監督をやり続けていても、優秀な助監督で知られていても、監督になれるわけじゃないんです。声をかけてもらえる環境を自分から作らないと。