塾講師の仕事はほとんどの場合、授業を教えるだけではなく、生徒の質問に対応する、報告書を作成するといった事務作業も発生します。
そうした時間が「労働時間」とみなされず、給料が支払われていなかったことが数年前に大きな問題になりました。
あれから、学習塾講師の労働時間はきちんと管理され、適正な支払いがなされているのでしょうか。残念ながらそうともいえないケースがまだあるようです。
今年の夏まで塾講師のアルバイトをしていた大学3年生・Hさんの実体験を専門家によるアドバイスを交えながら検証していきます。
1.え!?「80分授業1775円」が実は1333円だった
Hさんが働いていたのは全国規模で学習塾を展開している大手です。
勤務先が家から近いことや時給が他のバイトと比べて高かったことを理由に講師アルバイトに応募。
Hさんがみた求人広告の給与欄には、1授業 [80分]/1755円と書かれていました。かなり高時給な印象です。
しかし、Hさんが採用され、交わした契約書に書かれていたのは授業単価/時給1000円。また、それ以外の単価として時給845円が明示されていました。
「それ以外」とは生徒への対応や報告書の作成といった事務作業を指し、時間は30分。
Hさんの1授業とは実質、80分の授業と30分の事務作業で成り立っていました。まとめると次のようになります。
Hさんの1授業に対する労働時間と賃金
時間 | 時給 | 賃金 |
80分授業 | 1000円 | 1333円 |
30分事務 | 845円 | 423円 |
合計110分 | 合計1756円 |
合計するとHさんの実働時間と賃金は1授業あたり110分で1756円。
求人広告に記載されていた1授業[80分]/1756円とは大きく異なることが分かります。労働法を専門にしている南山大学の緒方桂子先生に問題点を解説してもらいました。
2.職業安定法とは?募集条件は正しく明示するのが義務
[緒方先生の解説】
結論から言うとHさんの場合は求人広告に則し、80分については1755円が支払わなければなりません。
それに事務作業の30分が付随するのであれば、その分は上乗せして支給される、ということになります。 一般に、人は仕事を探すとき、会社が提示する「賃金額」や「労働時間」、「週の労働日数」など、さまざまな条件を考慮します。
正確な情報が提示されていなければ、労働者は思いもよらない不利益をこうむることになってしまいます。
そこで「職業安定法」という法律が、労働者の募集を行う会社などに対して、
「従事すべき業務の内容」、「賃金」、「労働時間」といった労働条件を正しく明示するよう義務づけています(5条の3)。
虚偽の条件を提示して労働者の募集を行った場合には、6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金刑が予定されています(65条8号)。
また、募集の際に明示された労働条件は「見込み」ではなく、それに応募し採用された労働者が受ける労働条件そのものです。
ですから、Hさんの場合には求人広告に書かれていたとおりの賃金が支払われることになります。
3.最低賃金は上回ってる?「試用期間」の時給は注意が必要
Hさんが契約書を交わしたのは2017年の2月です。
Hさんの契約書には「試用期間3カ月」と記載され、その間の授業単価は求人募集にあった1000円ではなく820円で計算されています。
(試用期間)Hさんの1授業に対する労働時間と賃金
時間 | 時給 | 賃金 |
80分授業 | 820円 | 1093円 |
30分事務 | 820円 | 423円 |
合計110分 | 合計1526円 |
求人広告では時給1000円と書かれていたのに820円は「試用期間」だから仕方ないのでしょうか。
緒方先生に解説してもらいます。
4.最低賃金以下なら支払いを請求することができる
[緒方先生の解説】
しばらくの間、「試用期間」と称した期間が設けられることがあります。
使用者は、その間に、当該労働者に業務の適性があるかなどを観察します。試用期間を設けること自体は特に違法なことではありません。
しかし、当該期間について、通常の場合とは異なる賃金額を設けられている場合には注意が必要です。
よくある例が、地域の最低賃金を下回っている場合です。
賃金額が、働いている地域について設定されている最低賃金額を下回る場合、違法となります。
そしてその際には、少なくとも最低賃金額での賃金の支払いを請求することができます。 Hさんの勤務場所である愛知県の最低賃金は、契約書を交わした平成29年2月時点で845円でした。
Hさんが試用期間中に受け取っていた時給820円は最低賃金以下ということになり違法です。
※関連記事※
あなたの時給が最低賃金を下回っていたら?労働法の専門家が対応策をアドバイス(マイナビバイトTIMES)
5.疑問や不安がある場合は専門窓口に相談を
高収入・高時給をうたっている塾講師のアルバイトは、たしかに他の業種と比べて得られる給料は多いかもしれません。と同時に、給与計算がわかりにくい面もあるようです。
自分は正しい賃金をもらっているのかどうか疑問に感じている場合は、Hさんのように直接会社に確認したり、専門機関に相談してみるといいでしょう。
[緒方先生の解説】
自分の労働条件に疑問を感じたHさんは、自分で会社に問い合わせをしたようですが、かなりの勇気が必要だっただろうと思います。
しかし、その甲斐があって、不当な扱いをただすことができた大きなポイントは、
Hさんが求人広告、労働契約書、そして月々の給与明細といった重要な書類を保管していたことにあります。
これらの書類をもとに、Hさんは時給などを計算し直し、問題点を見つけだすことができました。
一般に、他人に雇われて働く際には、それに関わる書類をきちんと保管しておくことがとても重要になります。
また、意外と見落としやすいものに、応募するきっかけとなった「求人広告」があります。
先に説明したように、求人広告に書かれた労働条件(時給額など)は、働き始めたときの労働条件そのものです。
働き始めてから、「あれ?求人広告と違う」といったことが生じるケースもあります。それを確認するためにも「求人広告」の写真を撮るなど、情報を残しておきましょう。
それ以外にも何か問題が生じた場合は、日時・発生した場所・発生状況などの記録を残すことを習慣にするといいでしょう。
相談窓口などを利用して救済を求める際にも有効です。
監修
緒方桂子氏
南山大学法学部教授、専門は労働法。著書に『労働法』(有斐閣ストゥディア、共著)など。
職業安定法(労働省)
「あなたの賃金は大丈夫?」最低賃金全国一覧(厚生労働省)